カンボジア 1日目 - 到着編 -
2006年 05月 03日
カンボジアの首都はプノンペン。
でも今回の目的地は、シェム・リープという都市。
ここにあるのは言わずと知れた世界遺産、アンコール・ワット。
正直、カンボジアもラオスもミャンマーもごっちゃになっていたりしたので、Lonely Planetで歴史について読んでみる。
なになに?
アンコール・ワットなど数々の寺院が作られた時期は9世紀から14世紀で、当時はクメール帝国がカンボジアを統治していた。
その後はフランスが植民地化したが、1953年に独立。
WWII以降は王国制がひかれ、1960年代前半までは平和に暮らしていた。
これをぶっ潰すのがアメリカ。(いつもそうだ、この国は)
ベトナム戦争で、ベトナムと隣接するカンボジアは、アメリカや南ベトナムの軍隊にめちゃくちゃにされてしまった。
そして現れたのが、ポル・ポト。
ポル・ポトはクメール・ルージュ(赤のクメール)という軍隊グループを率いて、軍事クーデターを起こした。
何百万人ものカンボジア人を殺害したという。
1990年代になるとUNがカンボジアの内政安定に取り組み始め、裁判直前のポル・ポトの死とともにクメール・ルージュは姿を消した。
1999年にはASEANに加盟して、少しずつではあるが、独立した誰にも干渉されない一つの国として、歩み始めたばかりだ。
シェム・リープの空港に降り立つ。
ビザが必要なのだが、空港で発行してもらえる。
知らなかったのだが、その時に写真が必要だった。
ポル・ポト時代の人たちっぽい軍服を着たおっさんたちが、ビザの発行にあたる。
「写真が無い人は$2払って、あっちに行って。」
おっさんがインスタントカメラで撮ってでもくれるのかと思ったら、写真は無しでビザは発行された。
何だそりゃ? 別に写真が絶対いるわけじゃないって事? でもまあいいや、写真なんて予め用意してたら$2じゃ済まなかったし。
また軍服のおっさんが並ぶImmigrationを通って、空港の外に出た。
ここはバックパッカーも多く訪れるので、ゲスト・ハウスと呼ばれる小さなホテルが空港の外で客引きをしている。
彼らのホテルの泊まれば、空港からの送迎は無料だ。
私はネットでもうゲスト・ハウスを予約しておいたので、それにおまけで付いてくる送迎の人を探した。
お、あそこに私の名前のサインを持っている男がいるではないか。
そのあんちゃんの後をついていき、車はどこじゃ?と探すと、その先にあるものは・・・。
原チャリじゃあありませんか!
しかも普通の小さいヤツ。
おいおい、この大きなバックパックと大きな大人二人が大丈夫なのか?
と思って乗ってみると、結構大丈夫だった。
ノーヘルなのでヤダなぁって思ったが、どうしようもないので、そのまま発進してホテルに向かった。
※命の大事な人は決してこんな事はしないでおきましょう。
舗装はされているが、まだまだ整備されてる状況ではない。
勿論、信号もない。
人もバイクも車も牛もごちゃごちゃ勝手に行きかうので、よく危ない場面を見かける。
バイクの後ろから見た様子
バイクは人々の足
シェム・リープの街中は賑わっているが、そこまでの道には何も無い。
荒地が広がっているか、田んぼがあるか、だ。
牛もノンビリ田園風景
ゲスト・ハウスに着いて、チェック・インを済ませる。
正味2日間しかないくせに、これからどうするかをよく考えてなかった。
すると、バイク送迎のあんちゃんがバイクでそれぞれの遺跡を周って1日$8というので、安いし便利だからそうする事にした。
そうして、バイクのあんちゃん、TAKとの約2日のツアーが始まったのであった。
でも今回の目的地は、シェム・リープという都市。
ここにあるのは言わずと知れた世界遺産、アンコール・ワット。
正直、カンボジアもラオスもミャンマーもごっちゃになっていたりしたので、Lonely Planetで歴史について読んでみる。
なになに?
アンコール・ワットなど数々の寺院が作られた時期は9世紀から14世紀で、当時はクメール帝国がカンボジアを統治していた。
その後はフランスが植民地化したが、1953年に独立。
WWII以降は王国制がひかれ、1960年代前半までは平和に暮らしていた。
これをぶっ潰すのがアメリカ。(いつもそうだ、この国は)
ベトナム戦争で、ベトナムと隣接するカンボジアは、アメリカや南ベトナムの軍隊にめちゃくちゃにされてしまった。
そして現れたのが、ポル・ポト。
ポル・ポトはクメール・ルージュ(赤のクメール)という軍隊グループを率いて、軍事クーデターを起こした。
何百万人ものカンボジア人を殺害したという。
1990年代になるとUNがカンボジアの内政安定に取り組み始め、裁判直前のポル・ポトの死とともにクメール・ルージュは姿を消した。
1999年にはASEANに加盟して、少しずつではあるが、独立した誰にも干渉されない一つの国として、歩み始めたばかりだ。
シェム・リープの空港に降り立つ。
ビザが必要なのだが、空港で発行してもらえる。
知らなかったのだが、その時に写真が必要だった。
ポル・ポト時代の人たちっぽい軍服を着たおっさんたちが、ビザの発行にあたる。
「写真が無い人は$2払って、あっちに行って。」
おっさんがインスタントカメラで撮ってでもくれるのかと思ったら、写真は無しでビザは発行された。
何だそりゃ? 別に写真が絶対いるわけじゃないって事? でもまあいいや、写真なんて予め用意してたら$2じゃ済まなかったし。
また軍服のおっさんが並ぶImmigrationを通って、空港の外に出た。
ここはバックパッカーも多く訪れるので、ゲスト・ハウスと呼ばれる小さなホテルが空港の外で客引きをしている。
彼らのホテルの泊まれば、空港からの送迎は無料だ。
私はネットでもうゲスト・ハウスを予約しておいたので、それにおまけで付いてくる送迎の人を探した。
お、あそこに私の名前のサインを持っている男がいるではないか。
そのあんちゃんの後をついていき、車はどこじゃ?と探すと、その先にあるものは・・・。
原チャリじゃあありませんか!
しかも普通の小さいヤツ。
おいおい、この大きなバックパックと大きな大人二人が大丈夫なのか?
と思って乗ってみると、結構大丈夫だった。
ノーヘルなのでヤダなぁって思ったが、どうしようもないので、そのまま発進してホテルに向かった。
※命の大事な人は決してこんな事はしないでおきましょう。
舗装はされているが、まだまだ整備されてる状況ではない。
勿論、信号もない。
人もバイクも車も牛もごちゃごちゃ勝手に行きかうので、よく危ない場面を見かける。
バイクの後ろから見た様子
バイクは人々の足
シェム・リープの街中は賑わっているが、そこまでの道には何も無い。
荒地が広がっているか、田んぼがあるか、だ。
牛もノンビリ田園風景
ゲスト・ハウスに着いて、チェック・インを済ませる。
正味2日間しかないくせに、これからどうするかをよく考えてなかった。
すると、バイク送迎のあんちゃんがバイクでそれぞれの遺跡を周って1日$8というので、安いし便利だからそうする事にした。
そうして、バイクのあんちゃん、TAKとの約2日のツアーが始まったのであった。
by yyaby
| 2006-05-03 00:56
| おたのしみ